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繋がらないワタシ

『夢の国から目覚めても』、ゆゆゆりとバズーカ

TLでブログに感想を認めたものが回ってきて、それに感想を書くしかなかった(意訳)とあったので購入し読むに至ります。

本作は百合同人作家の有希と由香、2人の関係性の変化を描いた作品だ。
前半はレズビアンである有希視点で、ヘテロセクシュアルである同人仲間の由香への気持ちを告げられない。
後半では一線を越えた由香視点で、前半よりもより社会的な場面を出しながら変わっていく関係性を描く。

――私が、その同性愛者だよ。
いまもそれに悩んでいるよ。
無理だよ、そんなこといえるはずがない。
(p.56)

 ​これは、有希が男性作家に”百合作品に於いて同性だからと悩む描写なんて古い”と思わないかと聞かれた時のモノローグだが、ここが主題であると感じた。
”どう創作するか、どう百合と向き合うか”
そしてこの後に続くのが、創作物のために現実を消費された恵利ちゃんの話だ。

 

「・・・・・・全部、題材にされちゃうんですね」
(p.70)

 百合はこの恵利ちゃんの話で出てくるのと同じ創作物だ、レズビアンとは違う。
しかし、この作品はそれを提示したうえで、夢の国改め百合の国の可能性を示す。加えて言えばラストは二次創作ではなく実体験をベースとした創作である。
この差が百合を書く意義なのだ。

 

ひとりひとり全然違うひとたちが、全然違う理由を持ちよって、同じ夢を描いている。
(p.108)

 広がって、覆って、世界中が夢の国になればいい。
そうしてすべての女の子が誰かに愛されて、みんな幸せになればいいんだ。
(p.238)

 

百合の持つ力を信じて。

 

あとがき

「百合は誰のためのものか」それは徹頭徹尾、読者のものだと考えているけど、作中にあるように欠けているから創作するのであってだからこそ、誤読は存在する。みたいなことを読んでいて思った。
だからこそ、有希と由香は知り合えたし陽猫も――

百合に思いを抱く人に広く読まれるべき作品だ。