『夢の国から目覚めても』、ゆゆゆりとバズーカ
――私が、その同性愛者だよ。
いまもそれに悩んでいるよ。
無理だよ、そんなこといえるはずがない。
(p.56)
これは、有希が男性作家に”百合作品に於いて同性だからと悩む描写なんて古い”と思わないかと聞かれた時のモノローグだが、ここが主題であると感じた。
”どう創作するか、どう百合と向き合うか”
そしてこの後に続くのが、創作物のために現実を消費された恵利ちゃんの話だ。
「・・・・・・全部、題材にされちゃうんですね」
(p.70)
百合はこの恵利ちゃんの話で出てくるのと同じ創作物だ、レズビアンとは違う。
しかし、この作品はそれを提示したうえで、夢の国改め百合の国の可能性を示す。加えて言えばラストは二次創作ではなく実体験をベースとした創作である。
この差が百合を書く意義なのだ。
ひとりひとり全然違うひとたちが、全然違う理由を持ちよって、同じ夢を描いている。
(p.108)広がって、覆って、世界中が夢の国になればいい。
そうしてすべての女の子が誰かに愛されて、みんな幸せになればいいんだ。
(p.238)