『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』、実弾とバズーカ
バズーカ、バズーカ言っているので実弾とロリポップの本書を読みました。
あらすじ
その日、兄とあたしは、必死に山を登っていた。
見つけたくない「あるもの」を見つけてしまうために。
あたし=中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、
一刻も早く社会に出て、お金という”実弾”を
手にするべく、自衛官を志望していた。
そんななぎさに都会からの転校生、海野藻屑は何かと絡んでくる。
嘘つきで残酷だが、どこか魅力的な藻屑となぎさは徐々に親しくなっていく。
だが、藻屑は日夜、父からの暴力に曝されており、ある日――
感想
冒頭でも書いたが、まさしくバズーカだった。
バズーカというのは現実世界に対する武器だ、これは『ジュリアとバズーカ』で描かれている。
藻屑は、虐待を受ける中で世界に対して砂糖菓子の弾丸を撃ち放ち続ける、他方なぎさも世界に威力をもたらす弾丸を求める。
『ジュリアとバズーカ』では麻薬と注射器であったそれが本作では、彼女らの連帯となっており、それがよく作用している。
藻屑とその父が鉈を求める場面で、なぎさが鉈を渡したがそれが巡り巡って藻屑を切り刻むことになるアイテムであったりなど。
力のない中学生、それも彼女らは13歳中学一年生だ、そんな彼女らが戦うには大きすぎる嵐、現実でも貧困の世襲や虐待が取り沙汰される今こうした視点が大切であるが、しかし解決しようとするのは作中の先生のようにそれは難しい、なぜなら大人だから――
188頁最後の文章は忘れないでおきたい。
あとがき
『少女庭園』での”人が死ねば話ができる”を、地で行っている作品(本作は藻屑が死ぬことを示してから始まる)を『少女庭園』の次に読んだのには、何の因果だと笑ってしまった、”死”の耽美さや魅力も感じられるのも本作の良いところだ。
今まで読んできた三冊に比べると、ライトノベル?の時に書かれたものだからなのか、先生の筆力か先生の作品を三つ読んでいるからなのか(GOSICK、私の男、バラバラ死体の夜)、分からないが読みやすく桜庭先生のファンだなと改めて思った。